地下鉄サリン事件から19年
地下鉄サリン事件が起きた時と言うのは、いったい何が如何したのか全く分からない状況でした。
娘が大学を卒業して一年が過ぎようとしていました。藤沢勤務でしたので一人暮らしでした。
息子は、大学生で三鷹にある寮に住んでいました。
私は、渋谷まで某会社に出かける寸前でした。
ニュースを見ていて、とにかく大変な事が起こった事しか分かりませんでした。
渋谷まで地下鉄を使って行ってましたが、「霞が関は通らないから大丈夫。」単純にそう思って出かけました。
会社に集まった仲間は、都内・神奈川・埼玉・千葉と夫々でしたが、「何があったの?」というばかりで、事件の真相は全く分からないままでした。
お昼過ぎに帰宅した時に、夫が職場から電話をくれました。
「ラジオを聞いていたら、T大の門の前に不審物が置いてあると言ってるから、息子の安全を確認してくれ。」と言われました。
幸い、まだ寮にいて無事が確認できましたが、井の頭線を使っているので大丈夫だと大学に出かけたようでした。
娘にも連絡をしてみると、出社していませんでした。
本人に電話をすると「体調が悪くて会社を休んだけど大丈夫。」と言う返事でした。
家族の無事を確認した後は、TVはつけっぱなしでした。
一人暮らしのお隣さんも地下鉄通勤をしていましたので、お帰りになるまで本当に心配でした。
お顔を見た瞬間ほっとして「ご無事でしたか。」というと「(時間的に)危機一髪でした。」と返って来ました。
その後は、今でもニュースで取り上げられる通りの悲惨で残酷な事件でした。
「早く外へ出て下さ~い。」聞き覚えのある若い車掌さんの声が、ニュースで何回も流れていました。まだ、耳の底に残っています。
駅から、ごみ箱が撤去され、網棚に新聞や雑誌を載せてはいけない、不審物には手を触れずに直ぐに駅員に連絡することなど、ピリピリした日々でした。
松本でもサリン事件がありまして、松本サリン事件の犯人逮捕と実名で大きく報道されました。その時に息子が「これ、誤認逮捕なら大変な事になるぞ。」と言ったことが忘れられません。まさに、誤認逮捕であって、大変な被害者のご家族で、ご本人も被害者でした。
オウム真理教が起こしたサリン(神経ガス)事件は、世界中の人々を驚愕させました。
その時大変な事件を起こした教団が、名前を変えて今尚信者を増やしていると言う日本の原状はどう考えてもおかしいです。
何がおかしいのでしょう?
私たちが普通に感じている「信仰の自由」とは違いますよね。
自分自身が被害に遭ったと言う事ではありませんでしたが、その後数年間は、地下鉄に乗ると緊張していました。
事件にあわれた方が、地下鉄に乗れなくなってしまったと言う後遺症に悩まされていました。もしかして、今でもそうかもしれません。
そして、19年間寝たきりの方もいらっしゃるようです。
この方たちの人生を、戻してあげて欲しいです。
≪19年前の地下鉄サリン事件を決して風化させてはいけない。≫
強く思います。
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コメント
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あの時を記憶している人にとっては決して忘れられない事件でしたね。
サリン事件は、特にそうでした。
医療に従事されているmattiさんにとっては、尚更恐ろしさを感じた事でしょう。
阪神大震災の時に、東京のハイパーレスキュー隊の隊長として神戸港に停泊した船から救助に向かったと言う方と一緒にボランティア活動をしてたことが有ります。
新潟地震の時は義妹の地元の事でしたので、弟が何度も仮設住宅の方達に食料を届けていました。あの時ハイパーレスキュー隊に助けられた赤ちゃんは中学生になる筈です。孫のKAULと同じ年でしたから。
その後の皆さんが、幸せになってくれていると良いのですが。
投稿: krim | 2014年3月23日 (日) 00時19分
12月末に生まれた息子のお世話で家からでることもTVを見ることもない時期に起こった神戸の地震とサリン事件はビフォーアフターで日本の治安が揺らいだ事件だったと思う。病院への搬送者。その日夫は帰り遅かった。都心の病院に運ばれた被害者、担当した医療従事者。犯人たちがまた医療人だったことにも怒り。瞳孔症状を聞いた時PAMと思ったけど普通救急に広く備蓄されてないし・・・と恐怖でした。いまだに新宿の地下鉄前のトイレ前通る時ダッシューです。
投稿: matti | 2014年3月22日 (土) 23時42分