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カテゴリー「家族」の記事

2017年5月 6日 (土)

SIONO4歳 「柏餅食べたいです!」

今回のゴールデンウィークには、娘夫婦と息子の家族がやって来ました。都合よく両方から同じ日の打診がありました。

いつもの事なのですが、1-2日前になって連絡があると言うわが家の子どもたちです。今回来葉するにあたって、SIONO(4歳)からジイジにクレームが有りました。

母親が「千葉へ行こうね。」と言ったところ「おじいちゃんに連れて行かれちゃうから怖い。」と大粒の涙を流していたそうです。5月2日に「4日に伺いたいけど、都合はどうですか?」と言う息子からの電話で知りちょっと驚きました。

夫は「それは可哀そうな事をしたなあ。」と大反省でした。可愛さのあまり子供が嫌がっても自分本位の愛情表現をする夫の兄たちと全く同じことをするのです。子育てを妻任せにしたために子供の気持の分からない兄たちなのです。それは息子がじっくり体験済みですし、男の子には容赦しない兄たちの勝手な愛情表現でした。

夫は、一年に1-2度しか会わない4歳になったばかりの児に「一緒にお昼寝しよう。」とした事がトラウマになったようでした。父親に抱っこされていた時に両手を広げて「おいで」と誘ってもしがみついたままでした。連れて行かれると思って怖かったんですね。

お昼寝の誘いに乗って一緒に寝てくれたのはPOMだけだったようですが、たった一回の成功?が夫の自慢になっています。

私の姪たちも被害に遭っていますが、後々は笑い話にしてくれた愛する姪たちです。

馴染の無いおじさんとは一緒にお昼寝はしませんよね。分かっていてするので困ったものです。

良い子のみなさ~ん!馴染の無いおじさんやおじいさんは不審者ですよ~(笑)

2回目の電話で、「しっかり言っておいたから大丈夫。」と伝えて貰いましたら、珍しく電話に出ました。

「もしもし!SIONOです!」元気よく出てきました。早口は両親譲りですが、母親がSIONOに変わって言っているのだと思うくらい似ていて驚きました。

「かしわもち 食べたいです!」と言ったようですが、「食べたいです!」しか聞き取れずにちょっとショックでした。私の耳が・・・・(ノ_-。)

息子が言うには、買い物に行って安売りしてた柏餅を買って帰って食べたところとても美味しかったらしいのです。

それを聞いて、どこの柏餅にしようかとちょっと迷いました。スーパーの柏餅か?地元ではちょっと有名な和菓子屋さんの柏餅か?

でも、(スーパーさんごめんなさい。)和菓子屋さんの柏餅にしました。本人にはちょっと違ったらしいですね。特にお餅の部分が・・・美味しいと言って食べてくれましたけど、美味しいものをと思ったらやっぱり和菓子屋さんを選ぶでしょう?正解ですよね!

当日は娘夫婦が一足先に到着しました。

お昼を一緒に済ませたSIONOが、おじさん(娘の夫)と会話しながら幼稚園でしているダンスを一人の為に踊って見せていました。実に楽しそうです。

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その後、ちょっと離れて見ていたジイジに向かってダンス!

どうやらジイジが一緒に手足を動かして踊っていたようです。ダンスが好きなようで上機嫌で披露していました。

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お絵かきや工作が好きと言うSIONOに、現在小学校低学年の補助職員をしている娘が材料持参して来て工作の相手をしていました。

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「千葉のおうちにも作ってね。」の問いに「同じもので良い?」と聞いていました。彼女は基本的に作った物を人に上げない主義と言う事で同じものなら作ります。と言う事のようです。

色んな一人っ子が居ると思いますが、‘特徴的な一人っ子ですね。’

置いて行った作品は

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SIONOの従兄姉の二人は、POMは受験生KAULは高校一年生で夫々が多忙なようです。3人が一緒になる事はこの先もあまり期待できないのかも知れません。

娘たちが夫婦で来てくれた事、息子が家族で来てくれた事に感謝したいですね。ありがとう 楽しかったよ!

連休の最中でしたので、マンションの駐車場が予約でいっぱいかと心配したのですが、皆さんのお宅でもわが家と同様にお孫さん達が成長して来るチャンスが無いのかも知れません。一日前でも駐車場の空きが有ってホッとしました。

帰り道々SIONOは、いつものように途中途中の滑り台を楽しんでから電車に乗ったようです。

バイバイ またね!74
追記

息子と娘と孫と

息子「POM君とKAULちゃんのお母さんは、パパのお姉ちゃんだよ。」

SIONO「知らなかった。」

息子「仲が良かったんだよ。」と肩を組む。

すかさず突っ込みを入れた娘「過去形なんだ。一度拒否られてるしね。」

息子「あっ、ごめん。」

息子がSIONOに二人の従兄姉を合わせるために招待したところ、「お姉ちゃんは(来なくて)良いよ。二人が来てくれれば。」と言う事だったらしい。末っ子の特徴?

娘は遺恨を残しているみたいです。(笑)

この夜

JAPAN JAM の開催場所では、盛大に花火が打ち上げられていました。

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2016年5月 2日 (月)

JEFが水戸と戦った日、やっと実現した全員集合まで3年半の月日が経っていました。

水戸戦の日に、ようやく家族全員が顔を合わせました。

夫々に休暇を取れるタイミングが合わずに、SIONOの幼稚園入学後にようやく全員集合が叶いました。

遠くに住んでいるのではなく全員関東に居るのですが、息子たちの仕事の関係で今に至りました。

POM高2、KAUL中3、SIONO年少です。

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POMには、JEF8番のコンフィットTをサイン入りで渡したのですが、フクアリに行きたいとは言いませんでした。何故かと言うとJEFが“弱いから”そこまでの情熱はありません。小さい頃に巻選手の18番を着せて初めてフクアリに行った時は横浜Mに負けました。それ以来「マリノスには勝てないよ!」と言いつづけられました。

巻選手が移籍した時「僕何番のユニフォーム着ればいいの?」と聞かれ「巻選手と一番仲良しの深井選手の9番にしようか!」と言って9番を着せました。

「僕の着ている9番の選手、出てる?」と聞いてきました。深井選手がベストゴール賞をとった後の夏休みに「僕、夜(ナイトゲーム)でも大丈夫だよ!」と言って9番のユニ持参でやって来たのですが、フクアリでの試合はありませんでした。彼のJEFの試合の印象はそこまでです。

今回、遥也選手のサイン入りユニを見てとっても感動しているようでしたが、

残念ながら遥也選手のプレーを見た事はないのです。

KAULは、フクアリに連れて行った時にスタジアムの応援が怖いと言っていました。唯オーロイ選手を「可愛い!」と言ってました。この感覚はちょっと私には分かりませんでしたので、「どこが?」と聞くと「お顔も、髪の毛も、目も、お口もみんな!」「あっ、でも、ここ(脛を指して)は可愛くない。」

フクアリの記憶はそこまでです。

寂しいですね。

今回16号線を通って来たようですが、まさかの混雑に予定をだいぶ超過してやって来ました。途中で何も食べなかったようで、先に食事を済ませて到着を待っていた息子夫婦が4人の食べっぷりにビックリしていました。そんな4人を見たのは私も初めてでした。

SIONOは、POMとKAULがお正月に訪ねて行ってますので再会を喜んでいるようでした。娘は児童館で幼い児を相手にしていますので、一緒にティッシュの空き箱でショルダーバックを作って遊んでやっていました。

私との接点は殆ど有りませんでしたが、みんなが楽しそうで幸せです(^^♪

と言う事にしておきます。一人一人との係わりが短くてそこが、ちょっとだけ不満ですね。

POMをフクアリに連れ出したくて、一生懸命説得している私の邪魔をし続けたのが実の息子。

なんという息子じゃ ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!

POMは来年は受験生ですから、この夏がチャンスなのですよ!

3人は、水戸戦が始まる前に帰って行きました。

4人は、一泊します。

KAULは、今年が受験生ですから夏休みには来ません。

女の子の好きな幕張イオンモールに出かけて行きました。

スマホで駅探を検索して「45分かかる。」と言いました。「せいぜい5分でしょ。」と言うと、総武線稲毛駅から見ていたようです。再検索して「4分じゃない。」と母親に言われていました。「自転車で行く?」と聞いてみたのですが電車にしたようです。

YouTubeを見て、人・人・人でちょっとテンションが下がったようでした。早々に帰って来て駅前で私達と合流して軽めの昼食を摂りました。

若者向けのハンバーク系のお店でした。カロリーが高すぎて一個食べるのはとても無理でした。胃に負担が掛かり過ぎます。有名なチェーン店のようです。

POMと(義理の)息子は物足りないようでしたが、パンを沢山 買って持ち帰らせることにしましたが、POMは要らないと言いました。

「送ってあげないよ!」ちょこちょこ宅急便で送っているのでそう言うと「ええ~!」と素直な反応、、、

POMは大好きなタイガーチーズフォンジュを5個もかごに入れて、「一度には食べないよ。」と言っていましたが、母親に「二日で亡くなる。」と言われていました。

成長期に食欲がなかったから身長が伸びなかったと言ってました。でも、一年で体重は1㎏増えたそうです。

如何見たら良いのでしょう。(笑)

父親より10㎝小さいですね。(私の遺伝かな?)

POM達もいつものように早めの帰宅でしたが、その前にこの花↓

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ゴールデントランペットツリーが満開でした。

花を見ておしゃべりしていた私達見て「この花は何て言う名前ですか?」と聞いてきた方が有りました。花を見ているとよく花の名前を聞かれます。「日本名も有るんですけど、覚えやすいので。」と言ってゴールデントランペットツリーと教えて差し上げました。

POMが空かさず検索して“有明カズラ”地名。

早い!!

この花は去年のゴールデンウィークに、KAULにだけしつこく教えておきました。他の3人は初めて見る花でしたので、果たしてKAULは覚えているだろうか?と思いました。

トランペットだけは記憶していたようで、母親に「あの花咲いてないね。何トランペットだっけ?」と聞いたようです。「エンゼルトランペットじゃない?」と知ってる花の名前を言ったようです。

知る人ぞ知る場所なので、もう一度案内しました。

2年前くらいにこの花の名前を教えて下さった方に感謝です。

以後楽しみになりました。

離れて暮らす家族が、それぞれにせわしなくやって来て怒涛の様に通り過ぎてゆきました。

みんな元気ならそれでOK!!!

追記

5月になりました。カーネルおじさんの鎧姿!日本中のカーネルおじさんはこの姿なのでしょうか!

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2015年4月21日 (火)

迷惑な見舞客と可愛い見舞客

夫の退院後、強引に見舞いに訪れたのは弟夫婦でした。

子ども達にだけ連絡して入院し、誰にも言わなかったので、偶然知られた弟には来なくて良いと姉の威厳?で言ったのだけれど「大安吉日を選んで行くから。」と強引にやって来て、退院したばかりの夫の前で、弟は声を荒げて女房を叱り飛ばした。

いつもは何も言わずに自分の部屋に入ってしまう夫が、「もう帰ってくれ!」と弟をしかりつけた。だから言わんこっちや無い。こうなるのを恐れて来てくれなくて良いと言ったのに、と思ったけど後の祭り。でも義妹は「優しい時は本当に優しいんです。」とかばっているが、そう言う問題じゃない事も分かって欲しいのですよ。Kちゃん。

4月に入ってから、POMが一人で来てくれた。

私が、入学式にはいけないけど本人にお祝いを直接渡したいと母親にメールを送った直後、POMから千葉に来ると電話が有った。娘がこちらの気持ちを汲み取っての事だと感じられたが、結局お祝いは娘の口座に振り込むことにした。

夫が駅まで迎えに行くんだろ?と言ったけど、高校生になる男の子が迎えに来て欲しいわけがない。いつまで子ども扱いするんだと嫌がられるだけなので、勿論行かない。

嬉しそうな夫、私も頬が緩みっぱなし。

夫がベットに入った後で、退院の帰りにさっそくお酒を買って帰って来た事を、POMに言いつけてやった。

「おじいちゃん、お酒弱いのに。」といつもの優しい口調で、それでも呆れたように言った。

中学生では禁止されていたスマホを手にしていた。ゲームをしながらでもきちんと話相手になっているので、まっ、今は良しとするかな。やり過ぎると親から禁止令が出るはずだからね!

高校での部活は、「先輩からサッカー部に誘われているんだよね。」と言った。高校ではやらないと言っていたが、断り切れなかったのかその気になったのか仮入部をした。と最近母親からメールが届いた。

サッカー部に入ってしまうと益々千葉には来なくなってしまうけど、続けて欲しいな(^^♪

来る前、母親に「千葉に行ってもやる事無いんだよね。」と言ってたそうだけど、ボルタリングをやりたかったようだったし思いのほか寒い日になってしまったので、早めに出かけさせる事にした。

前日に買っておいたパンとお茶を持たせると、POMは、すぐにボルタリングができるように着替えて行った。

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写真は絶対に撮らせない構えだが、後ろ姿は仕方がないと諦めていたようだ。動き出した電車の音を確認して娘にメールを送信して、ハイ、ここまでとバトンタッチ!

そして、つぎに来てくれたのは2歳5か月のSIONO親子。

「こんにちは!」としっかりした口調で挨拶。

バナナが大好きで、先日「“こんにちは”って挨拶しないとバナナあげないよ。と言ったら“こんにちは”と挨拶して、『これでバナナ食べれるね!』」と言われたらしい。子供は親の体裁を考えてくれないので要注意!

お口が達者で、“流石この息子の娘”と笑った。

ある時母親が「SHIONOが『作って!』って言ったからママ作ってるんだよ。」といったら「そんな事言ったっけ?」という返事が返ってきたとか、一緒に入居した10世帯中4世帯のママさん達が関西出身者だそうで、4人の時は関西弁でおしゃべりをしているのを聞いていて、ある時「SIONOも“そうやなあ”って言ってみたいな。」と言ったという。やっぱりこの親(息子)にしてこの子有りで、言う事が2歳5か月の児ではない。

まるで、息子の2歳時代の再現の様だ。

洋服も大人のようなシックな物を自分で選び、ぬいぐるみには殆ど興味を示さず、今はミニカーで遊んでいると言うので、息子が幼いころに遊んだミニカーを出してやった。

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「これ何?」と車の名前を聞いて持ってきたパトカーをその車の傍に持って行って「ショベルカーさんこんにちは!」「ブルドーザーさんこんにちは!」と挨拶させている。

息子はボックスに入りきれない程持っていたが、POMが遊ぶようになって少しづつ持ち帰ってだいぶ少なくなってしまったが、まさか女の子が車で遊ぶようになるとは夢にも思っていなかった。

母親が「みんなmade in Japanなんだ。時代を感じる。車の形も違うし。」と言うので「形は確かに違うわね。今はどこ製?」と聞いたら「中国とかタイですね。」と言っていた。

その日は、JEFが大宮と対戦した翌日だった。

「昨日は足が痛くてフクアリに行けなかったのよ。」と言うと(義理の)娘が「昨日は雨だったんじゃないですか?」と言うので「サッカーは雨でもやるのよ。」と言ったら、それは知っていたらしいが「雨が降ったら行かないものだと、、、。」

「競技場では傘は禁止だけどポンチョが有るから。」と応えると息子と二人で傘が差せなかったら普通行かないでしょ!」ですってさ!

楽しい時間は瞬く間に過ぎ去りました。また来てね(^^♪

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2015年4月17日 (金)

(その5)前立腺癌全摘出手術:入院生活~退院そして病理結果

手術直後

酸素マスクを着けたままナースセンターに直接通じている部屋で一晩安静。

手術翌朝発熱

レントゲン撮影(2枚)

* (発熱したことで肺炎を案じて)肺、腎臓から膀胱までの尿管の撮影。

回診後医師の判断で、入院時の部屋に戻る。

正常な腸の動きが確認でき水分補給を開始。

酸素が少し足りないので深呼吸をして話をするようにと看護師から言われる。赤血球の酸素飽和率95%(通常96~97)なので少し足りない。

尿と廃液用の袋を二つ付けている。

尿を溜めてる袋には血液が混じっているので赤い色をしている。

午後:娘とPOMが様子を見にやって来る。(娘の心配感が行動に出ている証拠)

POMは花粉症で二重瞼が一重になり腫れぼったく重そうな瞼をしていた。スギ、ヒノキ、ブタクサのアレルギーを持っているので辛そうだった。

手術日が高校の合格発表の日と重なったが、手術前に合格の知らせを受けていた。

POM合格おめでとう!

息子は年度末で、なかなか自宅にも帰れない状況だと言う。

手術後二日目

朝、熱は37度1分まで下がっていた。

病院に着くなり、病院から出されたネプライザー(漢方薬)では痰の切れが悪いからS医院でメプチンエアーを出してもらって来て欲しいと言われる。執刀医の了解を得ているので明日持って来て欲しいと言われたが、すぐにS医院に行き薬を受け取って入院先に戻る。

お昼から流動食が開始。

12時、点滴が空になっている事に本人が気づいて慌ててナースコールをする。

* 「エアーはどこまで行った。」と看護師を問い詰めたが返事が無かった。点滴が完全に空になっていた。

看護師が退室した後で「(血管に)エアーが入ってしまうとどうなるの?」と聞くと「血栓ができる。血栓が心臓にまで行ったら大変だ心筋梗塞を起こす。」と怒っていた。

私の様に専門知識が無い上に、点滴が無くなった事に気が付かなかったらと思うと怖い。

夜、漢方の下痢薬を飲む。

術後3日目

朝、昼:3分粥

夕食:7分粥

午前中に下痢をする。

回診時に背中の鎮痛剤の管を抜く。

右手の点滴(静脈留置針)を抜く。

座位~トイレ歩行が可能になる。

* トイレ時は車椅子で看護師の介護が有るが、本人は歩いて行った。まだ繋がっている管は紐付きのバッグに入れて肩に掛ける。こんな感じに↓

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腸の動きを促す漢方薬の内服が始まる予定となっていたが、本人が断る。

因みに前日食べた流動食は、葛湯だったそうだ。

それを踏まえて「胃と腸の蠕動運動を確認したろ?だから食べさせたんだろ?オレが食べたのは葛湯だぞ、葛湯にたんぱく質が入っているか?いないだろう?それで下剤を飲ませるのか!」と予定通りの事をしようとした看護師を怒ったらしい。

(*現役時代は、看護師のたまご達にも講義をしていたので厳しい。過去にも何度か入院先で教え子たちに世話になり、今回の病院にも卒業生が居たようだ。)

術後4日目

朝:7分粥

昼、夕:全粥

点滴終了:手術前の午前中から続いていた(ラフテッグ、抗生物質の2ℓ)の点滴が終わり左手も自由になる。

術後5日目

朝:全粥

昼~常食

回診後、病棟内の歩行が可能になる。(回診時に医師から何も言われなかったので、看護師に確認して貰う。)

報告に来た看護師が「自由に歩いてくださって結構ですよ。トイレも呼ばなくて結構ですからね。でも寂しいから時々呼んでね。」と言われたそうだ。愉しい看護師(^o^)

* 抗生剤が点滴から、内服薬に変わる。

創部周りの廃液の管を抜くが、尿道にはまだ管が入っている。

術後7日目

朝:血液検査、尿検査

回診時、創部の抜糸(抜鉤)

体を拭きに来た男性看護師が「もう(弾性)ストッキングを脱いでも良い時期ですよ。」と言いながらストッキングを脱がせ「これ、如何しますか?」と言うので「いらない。」と答えたが、帰り際にポンと私に投げて行ったのでキャッチ。

夫が「アイスノンを頼んでおいたのになかなか持って来てくれないから、“おーい、W君にアイスノン頼んだらペンギンと遊んでいるらしくて持って来てくれないから、持って来てくれー。”ナースコールして別の看護師に持って来てもらった。完全に忘れていたらしい。」

という話を聞いていたが、今、会話していたことをもう忘れている!と思い、夫に「W君て他人の話をよく聞いてないんじゃない。ストッキング要らないって言ったのに、投げてよこしたし。」と言うと「そうか」と笑っていた。

術後12日目

午後:膀胱~尿道の造影検査をする。尿道と膀胱の接続が確認される。

術後13日目

午前中:尿道の管を抜く(ドレーンの抜管)

その後は、尿を溜めて“排尿観察記録シート”に記入。

術後15日目

午前中に退院。

退院後の注意:2か月間は自転車に乗ってはいけない。過激な運動をしてはいけない、お重い物を持ってはいけない。

おむつに代えて、尿漏れ用ショーツとパッドにして通常の生活に戻れる。

3か月くらいで尿漏れは無くなる。

看護師におむつ生活になるのかと聞いたら、ショーツとパッドで良いと言われ売ってる場所を聞くと「私のテリトリーでは、、、」と細かく教えてくれたのがわが家も行きつけのショッピングセンターだった。

女性にとっては生理用品と同じなので違和感はないが、男性には結構ショックなのだそうだ。

病院から帰る時に購入したものは、そのショーツとパッド、そして当然のようにお酒を購入した。

私の意見は一蹴、それでも順調に回復中なのが憎いのう~

退院から二週間後、病理の検査結果を聞きに行き“所見なし”と告げられたそうだ。

尿漏れもだいぶ少なくなってきていると言う。

掛かりつけの先生には、本人が直接ご報告といつもの診察とお礼に伺っている。

順調なのは有り難い(^^♪

それでも ┐(´-`)┌

2015年4月 9日 (木)

(その4)前立腺開腹目視下全摘出

手術当日、術前

剃毛は前日に自身で行っていた。

朝:浣腸、体重測定(入院時より2kg減)、人工呼吸器に備えてうがい、肺血栓・塞栓予防の処置(術後4日目まで弾性ストッキングの装着)

術後:ベッド上安静

* 頭を持ち上げたりすると麻酔の副作用で頭痛が起こる場合がある。

* 尿道に管が入る。

* 出血の多い場合は輸血をする。

* 酸素マスクをつける。

* 心電図モニターを朝まで行う。

* 手術中より鎮痛剤を持続的に入れるための細い管を背中から入る。

* 術後、創部の近くに廃液の為の管が二本入る。

* 痛みが強い場合座薬や注射で症状を和らげる。

以上、入院治療計画書に示されていて、看護師や医師からの説明もあった。

12時すこし過ぎに病院に到着すると、13:30からの手術が14:00からと変更になっていた。

夫が電話をくれた時には、既に家を出ていたので到着後に知る。

ドクター三人+麻酔科医+看護師三人のチームで行われると告げられる。

13:27

看護師が手術室まで案内

夫も歩いて三人でエレベーターに乗り込む。

「ここまでです。」と看護師が言い、夫は一人で手術室に入って行った。別の看護師が笑顔で夫を迎えてくれた。

手術室手前の廊下で、案内してくれた看護師さんと二人で少し話をした。

「ご主人は研究者ですか。お尻が赤いから。」

「???」と私。

「御尻にタコができているので、研究者ですか。とお聞きしたら、医者じゃないミクロの世界を覗いていた。とおっしゃられたので。」

と言われた。

「ああー、顕微鏡を何十年も覗いていましたね。」と応えると「その後は?」と聞かれたので「去年の3月まで最先端医療の倫理委員を10年近くしてました。」と言うと「それじゃみんな分かってしまうから可哀そうですね。」と言われる。

「知識として知っているので、自分で決めちゃうんです。それが一番困るんですよね。あなたは医者じゃないから。って何度も言ってます。」と言うと「私もそうです。夫にそれは君のものじゃないだろう?他人のもの(医療に関すること)だろって言われます。」

ちょこっと立ち話をして、一階のラウンジで途中で買って行ったおにぎりと病院の自販機で買った温かいコーヒーで遅めの昼食を摂った。

案内役の看護師は、1時間半くらいで終わると言ってくれたけど全て終わるにはやはり事前の説明の4時間だろうと踏んでいた。

16:56

看護師が腹帯を取りに病室に来て「もうすぐ終わりますので、もう少しお待ちください。」と言ってくれた。

「良っし!たぶん、良っし!」とガッツポーズをとった。

17:10

手術室の隣の部屋に通される。

執刀医が取り出した前立腺を、左の掌に載せてやって来た。

夫からは、大きな栗のようなものと聞いていたが小さなおにぎりの様だと思った。

「2時間40分で終わりました。膜ごときれいに取れています。出血は結構多かったです。おしっこも交じっているので正確には分かりませんが1000ccから1100cc位だと思います。1200採ってあるので想定内です。」と説明が有って、手にした前立腺を「見ますか?」と言ったが直ぐには返事が出来なかった。もう一度「見ますか?良いですか?」と聞かれ「はい、お願いします。」と言うと部位を指して説明し、転移はまだ分からないと言われた。

「また、お呼びしますのでお部屋でお待ちください。」と言われた。

30分後

看護師さんに案内されて夫の元に行く。

ドア一つで繋がったナースセンターの隣室で一晩安静にすると言う事だった。

酸素マスクをつけてまだ意識朦朧としているようだったが、「リンパ節は取れなかったって。」と私に言うのを聞いた看護師が「聞こえていたんだ。」と言った。

意識が戻りつつあるので、ホッとした。

「じゃあ、ゆっくり眠って下さい。」と言って帰りかけた私に「安らかにお眠りください。」と冗談を返したので「自分で言うか?」と突っこんでやった。

最終の送迎バスに乗って駅に向かった。

電車を降りて歩き出したが、足が前に進まず倍以上の時間がかかったような感覚になっていた。

(疲れた~つかれた~つかれた~)と言いつづけ乍ら帰った気がする。

後々考えて、タクシーで帰れば良かったのよ。と自分に言った。

乗り物に弱い私の頭の回路から、タクシーという選択肢は全く見つからなかったようだ。

帰宅して子供たちにメールを送ると、娘からは速攻で返信が有った。

ごめんね。心配させて。遅くなってごめん。と思ったけど、もうクタクタだった。

兎に角無事に手術は、終わった。

2015年4月 7日 (火)

(その3)前立腺全摘出手術直前まで

手術の為の自己血が1200cc貯血。

手術2日前に入院

入院初日

*(低残渣食事)消化の良い食事

医師と看護師より手術についての説明が有ると言う事だった。夫は、一人で聞くから帰って良いと言ったが、看護師より「ご家族の方もご一緒に」と言われる。

看護師の言う事の方が「正しい」。

本人は、手術に関しては余裕があるようだった。

看護師の手術前説明。

*入院2日目からは絶食になるが水分は取って良い。(お茶でも良さそうだったので、夫の希望で麦茶にする。)

*エコノミー症候群を抑えるために弾性ストッキングを着ける↓

(これは手術後の写真↓デジカメにとって寝ている夫に見せてあげた。)

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*「腹式呼吸の練習を手術直前まで練習していてください。」と言われると「オレは、男だから腹式呼吸してるよ。」と口答えをしていた。

*術後は、ナースステーションとドアで通じている部屋で一晩安静にする。

採血(10cc)が漏れていてやり直しをした。「漏れないような位置でキープしているからこのままで良いよ。」と針恐怖症男は言っていたが、私が帰った後で別の看護師がやり直して行ったらしい。しょうも無い患者だ。

入院2日目

11時28分、回診時に執刀医が点滴をして行こうとすると、すかさず、針恐怖症の夫曰く「最初から先生がやって下されば、5回も来なくで済んだのに。」

医師は「あっはっは!そうですね。」と言いながら退室して行った。

後に残った看護師さんと夫のバトル

「結構太い針が入っていて柔らかいので曲がる事もあるんです。その時はやり直しです。」

夫「○○さんがやって失敗したら、みんなに言ってやるぞ!」(看護師さんをからかっているんですけどね。)

看護師「良いんですよ!私は。私は言われても良いんですけどね。良いんですけど私は、疎まれますよ。」と言い合っていた。

「あまり言ったら外来(担当)の看護師さんが可哀そうか?」と夫。

「そうですよ。失敗すると尚緊張するんです。」

後で「あれくらい強い看護師さんの方が良いですよ。患者に舐められてるようじゃ困るでしょ!」と夫に言った。

午後、二人一緒に医師から手術についての説明を聞く

図を示して具体的に説明して下さる。

*癌が飛び出しやすい場所、閉鎖リンパ腺を1部分(数ミリ程度)切取る。

*前立腺は、静脈が混みあっているのでしっかり縛って全部一度に取る。

奥にあるので即止血できない。

出血があるので自己血輸血をする。多くても800cc位。(実際にはかなり出血があったが、それでも「想定内です。」と言われた。)

*神経は温存しない。

術後は、括約筋と前立腺が接しているので尿失禁がある。3か月くらいで失禁が無くなるが1年かかる人もいる。(自分で肛門を閉める筋肉トレーニングをする事。)

*5回針を架ける。2週間後に抜糸。

その日は、執刀医の説明をを聞いて即帰宅した。

翌日、予定が変更されて30分遅れの14時から手術が始まる事になっていた。

2015年4月 6日 (月)

(その2)前立腺癌全摘出手術までの予定

先端医療クリニックでMRIを受けた後、M病院に針生検入院。

14箇所中1箇所から癌が見つかり種々の治療方法を全てお聞きする前に「先生自らの執刀で前立腺の開腹直視下全摘出手術をお願いします。」と担当医にと申し出た。と夫から報告を受けた。

「それは簡単だ。」と担当医

悪げのある言葉ではなく、その他の治療方法をお願いしてたら専門病院の照会やら何やらといろいろあるからだろうと理解している。

なので、私は「良かったわね。」と伝えた。

1年がかりで漸く見つけたと言う事と、夫は他の手段は当初から念頭になかったようだったので、そのように言ってあげた。息子は癌専門病院での治療を希望していたが、本人は頑として考えを変えていなかった。

その後、M病院の担当医からかかりつけのS医院に手術の為の注意事項・指示の照会があり、返信では<心拍が多い>ことの一点だったそうだ。

全身麻酔をする際のぜんそく薬の影響を知りたかったようだ。

その返事を持ってM病院に向かい、麻酔科医と執刀医の都合等で手術日が決まった。

手術に必要な採血の為の貧血検査が1か月前にあり、翌週から自己血採血貯血が始まる。

自己血輸血の為に1200ccの血液を準備すると言われた。

1週目は、順調に400ccを採血できたがその後の2週間は最悪だった。

80ccしか取れなかったとか、半分の200ccしか取れなかったと怒っていた。

何しろ夫は、注射が大嫌い。

針恐怖症とでも言うのか、たぶん高所恐怖症の方が高所を嫌うのと同じなのだと思う。

2週目3週目は結果的に、2回づづ行って1200ccを貯血できたが、入院手術を含めても未熟な看護師さんの採血時が一番きつかったと言っていた。

掛かりつけのS医師に「週一での採決が上手くいかずに2回づつ言って貯血しました。」と報告すると、「それは、貧血でですか?技術的な面でですか?」と心配げに聞かれたので「技術的な面でです。」と応えると、大笑いしながら「私もインターン時代は採血が下手で、患者さんが私を見ると逃げるんです。いつも看護婦さんが蒸しタオルを持って私についているんです。緊張すると尚ダメなんですね。」

(ふ~ん、結構ある事なのかと思いながら聞いていた。)

夫の両腕は採血と点滴の痕が痛々しく、目のやり場がなかった。

2週目、余りに採血が進まなく若い医師が来てくれた時に、夫から「今日は止めます。2日後に来ます。」と言うと「そうしますか。」となって早々に帰宅した。

3週目、看護師ではなく女医の時は、80ccしか採れずに「冗談じゃないよ!」と帰って来て怒っていた。

この日は、造血剤の皮下注射もした。

3週目、二回目の採血の時に「ドクターがやりながら採血のできない場所に刺し込んで何やってるんだ。」と看護師に怒ったら、執刀医が来てさっと済ませたと言った。「外科医は思いっきりが良いし、太く深い静脈に刺したから一発で済んだ。」と言っていた。

この採血貯血期間は、針恐怖症の夫にとって手術前の苦難の前哨戦だったろうと思った。

だが、本人はこの時期が一番嫌だったようなので、入院中の生活の方が快適に感じたのかも知れない。たぶんそれは、予想していた範囲内の事だったのだろうと思える。

そして、いよいよ入院。

*(その1)でも書きましたが、夫は医師ではありませんが現役時代は基礎医学が専門でしたので、全くの素人ではありません。

2015年3月28日 (土)

(その1)前立腺癌確定診断まで1年

2014年1月、37年お世話になっているS医院で健康診断をした時の事、ベテラン看護師さんが「ご主人は前立腺がんの検査をされたことが有りますか。なさっておいた方が良いですよ。」と笑顔で言ってくれた。

そして、血液検査の結果、PSAの値21、7ng/mlと出る。

癌に関しては、知識としてはかなり詳しい本人は値を見て前立腺癌と理解し、その方向で動き出した。

2月:S医院の紹介状を持ってM病院に行き改めて検査を行う。

M病院での検査結果から、針生検入院(12本の針生検)をする。

*針生検の検査結果は、所見なし

6月:PSA値に変化なし

10月:PSA値30ng/mlに上昇

11月:M病院から直接の申し込みで、先端医療クリニックにてMRI検査を行う。

ぜんそく薬を服用していると言うので造影剤を使用せず行われた。

*かかりつけのS医師に(私が)報告に伺うと、「ここで処方しているぜんそく薬は造影剤に影響するものは出していません。」と、造影剤にに関して分かり易く説明をして下さる。

M病院の担当医とも連絡を取ってやって下さっていたので、安心して見守る事が出来た。

M病院の担当医「MRIでも確定診断はできませんでしたが、影のようなものが見えるので癌が有るとすればその部分だと思います。その部分を重点的に考えて今度は私が(針生検を)やります。」きっぱりと言われ、その彼を信じて癌が見つかった時は執刀をお願いしようと(夫は)思ったと言う。

12月:M病院で再度針生検入院(担当医自ら14本の針生検を行う。)

その中の1本から癌が見つかる。

*担当医から「(癌を)見つけちゃいましたよ。」と言われたそうで、夫は帰宅後「見つかっちゃったよ。」と玄関を入るなり私に言った。

ここで初めて前立腺癌の確定診断が出る。約1年がかりでの確定診断と言う事になった。

夫本人は、10年近く某放射線医療研究所の倫理委員をしていた関係で、主に末期癌患者の治療を知る立場にあったために、そこで得た知識をもとに、強い意志を持って前立腺の全摘出を希望していた。

S医師もM病院の担当医も本人の意思を尊重して下さっていた。

選択肢としては、他に抗がん剤治療、放射線治療等々あったが全摘出を選択。

夫本人によると、前立腺は失っても問題ないものなので全摘出をすると言う考えだった。

*ただし若い人は、前立腺を取ってしまうと子供が出来なくなってしまうからダメだとも言った。

*夫は数十年間に渡って基礎医学の分野にいた。(診療医学ではないので知識のみ。)

M病院のベテラン看護師さんが、「手術入院は長くかかるのでお勤めの方は抗がん剤治療や放射線治療を選ぶんです。長くお休みを取れないのでそうする方が多いです。」と言われた。

治療法の選択は個人夫々であるが、最善は何なのかが確立できれば一番良い事だと思っている。

2014年3月 6日 (木)

前立腺肥大or前立腺癌(完)―――針生検異常なし

結果から書きます。

針生検で「癌はありませんでした。良かったですね。」と医師から伝えられたて診察室から出てきました。

血液検査の結果PSA(前立腺特殊抗原と言うのだそうです)の値が「4」以下が通常値だそうですから、夫は「22」だったわけで当然癌だろうと本人も思い、H研勤務の専門家からもいわれていました。

ただ、前立腺癌は進行が遅いと言う事などを考えて夫も結構悠長に構えていました。

御小水の出が少し悪いと言う事はあっても、夫の場合は残尿感は無いそうです。

触診でも、エコー検査でも陰性でした。

最後に2泊3日の針生検で癌を探したのですが、「ありませんでした。良かったですね。」と言う言葉を掛けられたのだそうです。

針生検とは尿管を囲むように栗のような形と大きさの前立腺に、12本の針で生体を採取してそのものを顕微鏡で観るのだそうです。ですから、癌が有れば、12本の針のどこかについてくる筈だと言う事のようです。

何故、PSAの値が高いのか?

それが不安なのですが、病院の看護師さんは「値が一ケタの人でも癌の人もいますし、値の高い人でも癌ではない人もいるんですよ。」と言われました。

その後、かかりつけのお医者さんに、もし癌だった場合の事を相談に行くと、全く同じことを言われました。

先生のお友達(たぶん医師)の方には、「3回も針生検をさせられて、『もう疲れたからいい加減切ってくれ!』と言ってましたけど、まだ結果が出ていない時に言わなくても良いのですけど、今はいろんな方法がありますから。」と心配して相談に言った私に安心するようにお話をしてくださいました。

幸い、癌にはなっていないようですが、前立腺癌と言うのはかなり進行が遅いようですからこの後は追跡になるようです。

3か月後に、血液検査と尿検査のために又行きます。

特に40歳以上の男性の皆さん、ご自身のために血液検査を是非なさって下さい。前立腺肥大の方は非常に多いそうです。

夫の場合、癌じゃなくて良かったと言う思いと、拍子抜けしたような気持でどっと疲れが出ました。心配してくれていた子供達や弟、姪、そして本当に心配して下さったMさんにお礼と報告のメールを出しました。

姪(弟の娘)は、近所に癌封じの神社があると言う事でお守りをおくってくれていました。

そして、その姪が≪おじさん健康で良かったですね。二人ともまだまだ若くまだまだ元気でいてくれないと私も寂しいので、引き続き元気で仲良くいて下さいね。≫と返信してくれました。

娘にだけは、会社のお昼休みに間に合いましたので電話で知らせる事が出来ました。

まだ、先が有りそうですけど、一応ここで終わりとします。

重い題材のこのシリーズを最後まで読んで下さったみなさま、ありがとうございました。

皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

2014年2月20日 (木)

前立腺肥大or前立腺癌(7)―――2泊3日の針生検(退院日)

昨夜からお天気情報ばかり見ていた。

3月15日朝、TVを付けると羽生結弦選手が金メダルに輝いたことを、各テレビ局が一斉に報じていた。

羽生結弦選手おめでとうございます!

町田選手も、怪我で出遅れていた高橋も本当に頑張りを見せてくれたと思います。

起きる成りTVを付けた目的は、お天気と鉄道情報を知りたかったのだが、何とかなりそうな気配があった。京葉線も武蔵野線に繋がる部分以外は順調に動いている様子だった。

予定通りに身支度を整えてマンションの玄関を出てみると、清掃会社のおじさんが雪かきをして下さっていた。

「おはようございます!ありがとうございます。」と挨拶をすると「行ってらっしゃい。」と送り出して下さった。

雪と雨でぐちゃぐちゃになった歩道は、シャーベットと言うよりもスムージーのような感じがしていた。

次の道は?

雪かきがしてある可能性にかけて、団地内の小道を通って駅へと向かう事にした。

そこでも清掃会社のおじさんが、一生懸命に雪かきをしてくれていた。

「おはようございます!ありがとうございます。」と挨拶すると「ここから先は大丈夫だから。やってあるから。」と言って下さった。

次の、駅前のマンション内はどうだろう?外の道を通っても同じような気もするな。と思いながら行って見ると、やはり雪かきはしてなかった。マンションの清掃会社は如何しちゃったんだろうな。

降車駅では、隣接してる保育園の保育士さんが、全身を使ってスコップを押していた。

「おはようございます。通していただきます。」と声を掛けると明るい表情を見せた。

雪の公園を抜け切って信号を渡ると、ガソリンスタンドの男性も歩道の雪かきをしていた。「おはようございます。」と声を書掛けたら無反応で見られたので、そのまま通り過ぎた。

その隣にある建物は、千葉県の建物だと夫が言っていたけど、門の前で雪かきをしていた男性に「おはようございます。」と声を掛けると、黙って立ったままで挨拶が返ってこなかった。関係のない人間だと思えば無視?

その隣が、夫が入院中の病院。

病院の玄関で「おはようございます。」と声を掛けてくれていた方の姿が無かった。

交通事情が悪かったのだろうか?

予定通り病院に到着

11時45分、担当医がようやく回診に来て「退院です。」の一言。「検査結果は一週間後ですが、まだ結果が出ていない可能性もありますので、来週の木曜日は?」と聞かれると「来週の木曜日は会議が入ってますので3月6日(木)にしてください。」と夫。担当医は3月6日の予約を決めて病室を出て行く。

この呑気感は、私のストレスになってしまう。早く結果を知りたくないのか?進行の遅い癌だとしても個人差があるだろうに (-_-X)

夫は昼食を済ませてから退院する事にしていた。

12時の配膳前にスタッフの方が請求書を届けてくれた。

昼食が届くと「ここの食事美味しいの!」と嬉しそうに食べ始めた。

「(また)食べに来たら?自転車で来れるでしょ!いいよ、私はその方が楽だもんね。」

と言いながら食事が終わるのを待った。

夫が栄養士さんとした話を聞かせてくれた。

病院の栄養士さんが「奥さんは、どんな風に作ってますか。」と聞かれたので「昆布と鰹でだしを取っていて、、、、尿路結石をやってからは、、、、、。」

と話すと

「栄養士さんですか。」といわれ「そんな話は聞いてないな。」と言ったそうだが「私の年代の人は、みんなやってるんじゃない?今の人はやらないのかな?」と逆に思った。

「出しを取る時に、イワシの粉もつかっているよ。」と言うと「あれは便利ですよね。」と言われたそうだ。

とはいっても、私の場合は昆布は出し昆布と言うよりも、煮昆布を使ってそのまま食べられるような使い方をしている事が多いので邪道かもしれない。でも、味噌汁はちゃんと出し昆布を使っているけどね。

一階に降りて会計を済ませる。前日におおよその金額を聞いていたのだが、70歳と言う事で一割負担だった。年金暮らしには本当に有り難い。

『現役世代の皆さんありがとうございます。』

自分の親世代を送り出し、今度は子ども世代のお世話になる順番が来てしまった。

何ともいえない気分。

会計は私が済ませたが、薬局には本人に行ってもらった。

離れて見ていて、何かあったのかな?と思っていたら、薬剤師が処方箋を見て「抗生物質7日分ですね。」と確認されたらしいが、「3日分だ。」と言ったら、処方箋を訂正して「すみません。」と言って3日分の薬を出したのだそうだ。帰宅後に聞いたので仕方がないが、いつも利用している薬局では必ず医師に確認の電話を入れて、どっちが正しいのか確認をしてから処方してくれるのだが、、、、?

私のメモにも、入院当初の看護師さんの説明で「3日」としてあるので3日分で良いのかも知れないが、、、、

ここの病院はどうなっているのか、信用は、、、、?

過敏性大腸炎と診断されている私の腸は、当分落ち着きそうにない。