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カテゴリー「備忘録」の記事

2020年4月16日 (木)

こんな時なのに整形外科に通院中

世の中は、コロナウィルスに戦々恐々としています。

自粛自粛で、子供たちからは学校さえ奪っています。

私も、ほとんど部屋の中で過ごすようになって、それでも、ピラティスは一人自室で黙々と続けていました。4月に入りTVと共に柔軟体操とストレッチをしていた時のこと、ちょっとした違和感を左肩に感じました。それが、翌日には強烈な痛みに代わり、シップを貼ったり鎮痛薬を飲んだりして自力で治せると思ったのですが、痛みは夜布団に入ると一層激しくなり椅子で休むことになって、、、この状態は二晩が限界で3日目に整形外科を訪れました。外出自粛を言われる中では病院へとはいえ後ろめたいものがありました。

腕はだらりと下げているか、<小さく前ヘならえ>の形にしてなるべく肩を動かさないようにしていると、何とか痛みが和らいでいました。

肘はそれ以上は上げられず、体から腕を離すことも無理でした。

整形外科には平成20年に行っていて、それ以来ですが、その時は首から左肩にかけての痛みでしたし、すぐに治ったと記憶しています。

今回、レントゲン撮影をした結果

左腕の付け根あたりに白く写っているものがありました。

医師は「せっかいです。」と言いました。意味が分かりませんでしたが切開するのかと勘違いしそうでしたが、そんな素振りはなく

医師:これが厄介なんですよね。夜寝ると痛くなるでしょ。痛め止めですが、胃は弱いですか?

私:弱いです。

医師:薬でのショックはありますか?

私:帯状疱疹のときの飲み薬が駄目でした。

医師:どのあたりの帯状疱疹?

ベルトあたりをさして「このあたりです。」というと「じゃあ、大丈夫でしょう。」と、、、、

何が大丈夫なのか、私には分かりません。

その後、リハビリ室に行き理学療法士(PT)の方から今の状態の説明を聞きました。彼は、「レントゲン写真の白いカルシュウムのような、、」という言い方をしたので医師の言った<せっかい>は切開ではなく石灰なのかと勝手に理解しました。週2回リハビリに来るように言われ、自宅では一日2回10分づつアイシングをするように言われた後、電気療法とアイシングを10分づつ行って帰宅。電気療法の後、腕に痛みを感じつつの帰路に少し不安がありました。三角巾で腕を攣ることも良いようですが、「動かさないと固まってしまいますから。」ということでした。固定しなくても不便はありません。左手は<小さく前へ倣え>を保っていればOK!

薬は、ロキソプロフェンNa錠、湿布薬(ロキソプロフェンNaテープ)、ボルタレンサポ(座薬)が処方されました。

行きつけの調剤薬局(こういう定義はないようですが)で、いつもの薬剤師さんに「胃が弱いんですけど、この飲み薬は大丈夫でしょうか?」とお聞きすると、「弱い薬は出していますけど飲み続けると胃にきますので座薬が良いでしょう。」と。

座薬かぁ、、、子供たちにはしてあげたことがあるけど、、、、😞
市販の薬で胃液を吐いて、、、処方された薬に挑戦して同じように吐いて、、、翌日意を決して座薬を、、、

😃😃😃

座薬にして大正解!

だいぶ楽になりましたが、一人で着替えができず、ちょっと触れられただけで思わず声を上げるほどの痛みがあり、最悪でした。食いしん坊の私なのに全く食欲が無く、左肩が痛いだけなのに身体のバランスが取りにくくなっていると感じました俗にいうところの体幹が保てなくなっているようでした。

くやしい😖


週2回のリハビリでしたが、担当の理学療法士(PT)さんが体調不良でお休み中でした。4回目に行く予定にしていた前日に、担当PTさんが電話をくださいました。その日は、両手を使って洗顔ができるようになっていました。

4回目の通院日

リハビリ日では、初めて体温を測られました遅過ぎない?

「何度でした?」と聞くと「35・8度」

思わず「うふっ」とすると受付嬢も「うふっ」

リハビリ室には大勢の方が居て、「こんなに、、、」と驚き、そして、コロナの時だけに不安がありました。1時間もするといつの間にか人がいなくなっていました。今回から予約制になったようで予約の集中した時間帯だったようです。

4回目にしてようやく体調を崩していたPTさんが戻り、そして、リハビリ実施計画書が渡されましたそこで初めて疾患名を知りましたが、俗称は50肩だそうです。私何歳?ちょっと恥ずかしい。ピラティスのインストラクターへの報告は正式名称にしよう。zoomを使ってレッスンを始めてくださってますが、私は不参加なのです。ちゃんとした理由を報告しなければ、、、

疾患名:左肩関節周囲炎

病状・経過

  • 左肩肩峰下滑液包炎による左肩夜間痛、
  • 左肩関節の求心性低下による不安定性、
  • 肩甲骨の可動性、固定制低下

症状

  • 疼痛、関節可動域制限、筋力低下、筋異常(筋緊張・筋拘縮)

実施項目

  • 疼痛コントロール、ストレッチ、筋力強化、関節可動域練習、ホームエクササイズ(毎日自宅で行う筋力訓練の指導)、アイシング、干渉波

Img_2062  

印刷されていた<病状・経過>を見た時に、典型的な症状なのかと、、、。私が何も語らずとも<左肩関節の求心性低下による不安定性>と記されている。この中の不安定性についてお聞きしてみよう。私の感じていることと同じなのかどうかを。

バスで片道10分のここの院長は、いつからスポーツドクターを名乗っている?

近くの某接骨院は、Jリーガーたちが通院しているそうだし、私がお世話になっている美容師さん一押しの接骨院ですけど私は、、、、、。もし、私もスポーツ選手ならたぶん某接骨院に行ってたと思う。(笑)

最近の風の街の花をアップしておきます。

ツリガネズイセンとつつじ

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2020年2月18日 (火)

医者嫌いな夫の健康診断その2-ポリープ手術

昨年9月、暑い日でした。

大腸がん検査のためにかかりつけの医院に出向いた夫です。内視鏡検査を受けるには前日は流動食、当日は下剤を飲んで出かけました。前以って看護師さんから「当日はご家族の方に迎えに来ていただいてください。」と言われたようです。

迎えに行くといっても、車はないし徒歩で行くだけでしたのでタクシーで帰ることになるのかな?

検査終わりを見計らって行ってみました。

待合室で待っていると、麻酔が冷め切らない夫が待合室に来、その後、麻酔から覚めると今度は診察室に呼ばれてゆきました。

検査をしながらポリープ切除をしたようでしたが、残っている大きいポリープは、出血等万一を考えて設備の整った病院でするように言われたようです。そしてこの時、後に入院することになる病院あての紹介状を書いていただくことになっていたようでした。(私は知りませんでしたけど、、、、(# ゚Д゚))

徒歩で帰るというので、そのまま帰宅することにしました。その前に、水分を取るように言ったのですが「いらない。」と拒否!

帰宅後、すぐに食事をしてベッドに入りましたが、やはり、、、

「脱水症状だったみたいだな。」と後になって、、、。

当たり前です。基礎医学に携わっていた人なら考えなくても分かるでしょう?と、、、私の言うことは素直に聞かないと改めてわかりました。以後、できるだけ強引にやります。

ただ、医師側は検査後に水分の補給を指示しないのでしょうか?検査終了後は、完全に脱水症状を起こしていると思います。下剤を飲ませて検査をしていますからね!ましてまだ、暑い時期でしたし、、、。

検査結果は郵送でした。幸い大腸がんの所見はありませんでした。

次に、ポリープ手術のために紹介された病院に行くことでしたが、なんと本人が行くことを承諾した時は年を越していました。

肺癌のCT検査を済ませた翌日、紹介状をもってK病院へ!

その一週間後(時間指定)、入院日が決まるという日でした。自転車で行くはずでしたが外に出ると雨が降り出してきました。そこで急遽タクシーで行くことになりました。

寒い日でしたのでコートは一番暖かいカシミヤを着ました。

この予想外が重なったことで、不機嫌極まりない面持ちでの帰宅となりました。

病院までの距離を正確に把握していなかったことが、不幸でした。(我が家から眺めていると病院はかなり近くに感じられます。)

帰りは、バスもタクシーも居なかったというので徒歩で帰宅。「一時間近くかかったし(実際には30分くらいですが)、コートが暑すぎたし、入院に必要な流動食や下剤(500cc)が重くて持ちにくいし、雨で歩きにくいし、、、、」と不満の塊のようになって帰ってきました。

(我儘すぎます。)

本当に如何したもんでしょうね子供たちや友人たちからは、私が甘やかしたからだと言われた事があります。(はあ?私の所為?)

「タクシーは呼べなかったの?」と聞いてみたのですが、そういう面倒なことは一切したくない人です。それに、もっと距離が近いという感覚があって徒歩で帰宅したのだと思いますが、1か月後の入院が思いやられました

それまでにいろんなバージョンを考えておかなければなりません。

当日朝、下剤を飲んで病院まで行くことになるでしょう。

タクシーがいなかった場合。そして、雨が降っていた場合。予約時間に間に合うようにいくにはタクシーを予約しておこうか?そこまでしなくて良いといわれそう。とかとか、、、

また、退院時のタクシーは調達できるはずだけど、どこのタクシーが良いのか。どのタイミングで呼べば良いのか。

考えると憂鬱でした。

それでも、入院時に着る肌着やパジャマの準備等は自分でやっているようでした。最後の確認をさせてもらうと、肌着の代わりに着古している黄色いTシャツ、履き古した靴下。適当でびっくりしました。嘗てもし私が、同じような準備をしてたとしたらどうだったでしょう?何を言われたでしょう。

私「肌着は無かった?靴下は?」

夫「あるよ。」と出してきました。

そして、入院の前日。

提出する書類に目をやり、保証人の勤務先の正式名称と住所に電話番号と印鑑が必要だから、夜に電話して聞こうというのですが、これにも驚きました。(準備は早めに!!!!)

仕方がありません。息子にショートメールを送り義理の娘にはLINE送ってみました。息子からはすぐに返事が来てやれやれです。関西方面に出張中で乗換駅で返信してくれたようです。助かりました。

扨て、入院当日です。

雨でした。タクシーがいません。「トイレに行きたい。駄目だ。いったん帰る。」と言われ、「そこ(24時間営業)のお店で借りられない?」と言いながら歩き始めたところに丁度タクシーが来て「良いところに来てくれた。!」と安どの夫。

予約時間に間に合いました。手続きを済ませ30分後に案内が来るまでロビーで待つことになりました。夫はトイレに行かなくても大丈夫だったようです。

ロビーには、ボランティアの名入りジャンパーを着た方が配置されていましたボランティアさんがいるんだ!さすが千葉市! 嘗てPCボランティアをしていたのですが、こんなところにもボランティアさんが!とちょっと感動でした。

タクシーのこと、初めて見る会計方法、自転車置き場の場所など、、、、。あまり詳しい方ではありませんでしたがボランティアさんありがとうございました。

30分待ったところで、病室に案内されました

一部屋にびっしりと、カーテンで仕切られたベッドがギリギリの数並べられていました看護師さんによって、タイムテーブル的な予定の説明がありましたがご多忙なのでしょうどこの病院で経験したよりも早口でした

そして、手術室に私も入るかと聞かれこれも初めてのことで二度びっくりしました。入らないと答えると、「手術の時間は私には分かりませんこの後薬剤師が持病薬の確認に来ます。薬は個人で管理してください。2時から3時の間に退院後のお食事の説明がありますので、その時は奥様が同席してお聞きになった方が良いかと思います。」にこやかに話し終えると外で待っていた薬剤師さんが代わりに入ってきました。私は外で待機。そのあと退院後の食事のアドバイスをお聞きして私は、一旦帰宅。

病院内は、アリの巣かモグラの巣のようで、そのうえ単一的なドアが並び病室もそのほかの部屋も近くに行って番号を確かめなければ分かりませんでした。方向音痴の私は迷子になりうろうろしていると「そっちの方には病室なんかありませんよ!」と若い看護師さんに怒られてしまいました。

方向音痴は最弱点です。

外に出ると雨は、すっかり止んでいました自宅まで30分です。爽やかな気分で歩くことにしました。

途中の道路が工事中で、そこをよけるように歩いてゆくと自宅よりも一区画先に進んでいました。

ゆっくりする時間はありませんでしたが、食事を済ませて再び病院へ!

2時ちょっと過ぎていました

手術が終わって病室に戻ったところだったようです。手術は1時間かかり、大きいポリープを6個も取ったそうです。

その後、スタッフから退院後の食事について説明を受け、次に看護師さんから退院時間等の説明を受けたのち帰宅。

その時にいただいたプリントです。手術の名称は ≪大腸ポリペクトミー・粘膜切除(EMR)≫でした。長い!

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退院の日は、朝食後9時30分までに荷物をまとめ10時頃に会計の方が請求書を持ってくるので窓口で会計を済ませて終了、退院です!

翌朝、自転車で病院まで行きました。会計を済ませてタクシーを呼ぼうとすると、朝食がずっしり胃に来てるので歩いて帰るといわれました。私は自転車をひいて歩くことになりました。

やれやれ(>_<)

退院後の食事は、それほど気にしなくて良いとは夫の言い分です。お望みどおりにどうぞ!とはいえ、、、です。

14日間は経過観察です。切除した部分はホッチキスで止めてあるので、取れないように固いものや刺激物は食べないように飲まないようにですが、お酒は、、、

現時点で出血は全くないようですので14日後の完治報告を待ちましょう!(自分に言い聞かせています。)